The Hyper Print Art of Classical Music




メシアンのトゥランガリラ交響曲 日本初演である。1962年7月4日小澤征爾の指揮N響と。素晴らしい歴史に残る演奏で、鳴りやまぬ拍手に応え、メシアンが舞台に登場し、小澤の素早い理解力に感心した、とコメントした。小澤はこのすぐ後N響の団員からボイコットされ、予定していた定期公演はキャンセルされた。私の家へキャンセルの電報が届く。


1962年4月にオイゲン・ヨッフム、ベルナルド・ハイティンクに率いられたアムステルダム・コンセルトヘボー管弦楽団が来日した。これはまだ若いハイティンクが指揮した時の演奏会で、首席コントラバス奏者から頂いたサインが付いている。


1965年、ウイルヘルム・ケンプの連続ピアノ・リサイタルである。バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、シュマン、ショパンとリスト、ブラームス、モーツアルト、それぞれの夕べと名付けられたリサイタル。


1968年フィラデルフィアのグランド・オペラで「トゥーランドット」公演があり見た。カラフを歌ったリチャード・タッカーが素晴らしかった。


1978 Horowitz

1978年5月7日午後4時

カーネギーホールで行われたVladimir Horowitzの米国デビュー50周年の記念コンサート(Vladimir Horowitz International Golden Jubilee Concert)である。

プログラムの表紙、当日の演奏曲目、切符それに帰国後,雑誌に載っていたホロヴィッツのインタビュー記事の写真である。

ISHIIの作品であることの証のシールをして完成。



May, 1978 Carnegie Hall

カーネギーホールで1978年5月に行われた

演奏会のリストである。オーマンディ、アシュケナージ、ブレンデル、ショルティ

そしてホロヴィッツである。

世界一流の音楽家が勢ぞろいしている。

カーネギーホールがオペラを除くクラシック音楽の中心であることの証明である。



ホロヴィッツの大サービス

1978年5月7日のリサイタルはショパンだけのコンサートであった。その模様を載せた

ある雑誌の記事。雑誌ではページのサイズに

縛られ、且つ一覧性が失われる事があるが、

こうすると、記事全体の雰囲気がより鮮明になる。



1986年6月にホロヴィッツは2度目の来日を果たした。その時の新聞記事。

サインは印刷されたものである。


1980年ウイーン国立歌劇場日本公演 リヒアルト・シュトラウス「エレクトラ」日本初演。

主演 ビルギット・ニルソン 白石敬子出演


1980年代後半

ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)である。これはMETのパンフレットからの切り抜きで、額はイタリア製でローマで買った。

上はMETの正面を夜、外から撮影。下は正面、両側にあるシャガールの絵で、記事はシャガールの写真と共にシャガールの思いが述べられている。2階外のテラスには流氏の作品で、三味線のバチをインスピレーションにした音楽の魂、彫刻がある。右から2つ目の窓に小さく影が見える。これと同じく、三味線からヒントを得た流氏の作品は上野の東京文化会館のホワイエにもある。

下の中央は歌劇場の内部で、舞台側と客席側である。

 この作品は額に合わせて入れるものを色々考え、この作品になった。中身を作ってから、額を考えるだけではなく、気に入った額に、何を入れるかを考えるのも楽しい。


1981年9月のミラノ・スカラ座日本公演。カルロス・クライバーの指揮、ミレルラ・フレーニ、ドヴォルスキーなどが出演した。あまりにも素晴らしかったので、ほとんど同じキャストで1988年の来日時にもお行われたが、1981年時はマルチェロ役をレオ・ヌッチが歌ったが、あとは全く同じである。


1981年9月8日ミラノ・スカラ座日本公演、「オテロ」、カルロス・クライバー指揮、プラシド・ドミンゴがオテロ役、トモワ・シントウがデスデェーモナ、カローリがイヤーゴを演じました。左上は初演時のイタリアの新聞記事、下が当日の切符。


1987年、ワーグナーのニーベルングの指輪日本初演。4部作が3回も行われた。当時も日本でワグナー熱が如何に高かったかを物語る。私はドナルド・マッキンタイヤーのウォータンを聞きたかったので第3チクルスを見た。

ゲッツ・フリードリッヒの演出。


1989


1990年代

メトロポリタン歌劇場には度々足を運んだ。これはその時の切符である。額は実は鏡でMETのショップで買った。

縁取りは、METが今のリンカーン・センターに移る前の、昔のMETの舞台の枠をそのまま形取ったものである。

切符は小さく、入るときに半分ちぎられる。


1992年7月カーネギー・ホールで行われたジュニア・フィルの演奏会。指揮は山本直純さん。


これは1993年8月のザルツブルグ音楽祭の公演である。アバドの指揮、ベルリンフィルの演奏会で、27日はマーラーの交響曲第5番を、そして28日は、まだ幼さが残るキーシンがプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を演奏し、その後、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」が演奏された。


同じく1993年のザルツブルグ音楽祭、8月29日のジェームス・レバイン指揮、ウイーン・フィルの演奏会の記念である。

ブラームスはひげを生やした写真が一般的に多いが、まだ若いブラームスの写真が印象的である。この写真を見ると、ずいぶんもてた、と思われるが、敬愛する師シューマン、の妻クララにひかれていたため、独身だった。


同じく1993年のザルツブルグ音楽祭、ハイティンクの指揮,モーツアルトの魔笛である。

このときは切符を2枚持っていたが、1枚を売らざるを得なくなった。そこで入口前でキップをかざしていたら「お前いくらで売るのか」と聞く男が現れたので、定価を言ったら「3分の1なら買う」と言う。しかし、売らなかった。しばらくしてその男が

また来て、「もう、あと15分しかないよ」「あそこに、おれは立っているから売る気になったら知らせてくれ」とのこと。次に現れた女性はキップを見て、「あ!高い席ね」と言ってどこかへ行った。つまり値段の高い切符など、はなから買う気がないらしい。7分前になったので、仕方なく先ほどの男に切符を売った。しかし、その男は私の隣の席である。


これは1994年1月29日のニューヨーク、メトロポリタン・オペラのヴェルディのアイーダである。

作品にはパヴァロッティの写真があるが、当日パヴァロッティが歌ったわけではない。プログラムにパヴァロッティの対談記事が載っていたので、載せた。


1994.5.3

CARMEN

The Royal Opera

   at Covent Garden

P.Domingo


これは1994年8月のエジンバラ音楽祭でギュンター・ワントの指揮、ハンブルグNDRオーケストラの演奏でベートーベンの交響曲6番、5番の演奏会であった。しかし、残念なことに、この翌日、私が待ち望んでいたブルックナーの交響曲演奏会はキャンセルされた。理由は分からなかった。

 


これはシドニーのオペラ・ハウスで上演されたプッチーニの「トゥーランドット」である。特別有名な歌手が出たわけではないが、ピン・ポン・パン3人の掛け合いがとても印象に残っていて楽しめた。

何度となくあの有名なオペラハウスで上演されたものを見たが、これ以外に、印象に残っているものはチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」である。その時のオネーギン役はとてもハンサムな歌手で、最後にひざまずき、復縁を懇願するが、受け入れられない。あのくらいの美男子が懇願したので、揺らぎに揺らぐが、受け入れない。ブ男だったら、さまにならないですね。


1996.4.25

Andrea Chenie

この日はパバロッティが出るはずだったがキャンセルになり、代役が出た。

指揮はジェームス・レヴァインである。

プログラムのキャストには

Pavarottiの名前がある。


1996.4.27   MET

La Boheme

これはアンジェラ・ゲオルギュ、ロベルト・アラーニャ夫婦が演じたラ ボエームである。指揮は女性指揮者のシモーネ・ヤング。


Puccini

プッチーニのいろいろな写真をまとめた。右下には

プッチーニの葬礼馬車が写っている。右上はトスカニーニと肩を組んでいる写真で、プッチーニのサインがあるが、これは印刷である。


2017.9.21 バイエルン国立歌劇場日本公演。指揮キリル・ペトレンコ、タンホウザーはフローリアン・フォークト。


2019


The Hyper Print Art へ戻る。 次へ